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REPORT-レポート
7/12 高橋源一郎文化講演会「生成AIの時代に生まれて」
富士川町立図書館3周年に合わせ、はくばく文化ホールに高橋源一郎さんをお迎えし、「生成AI」の登場した現在についてお話を伺いました。執筆はもちろんですが、ラジオのパーソナリティーをはじめテレビ、新聞や雑誌などのメディアで幅広い活動をされている高橋さんのその見識の広さと独自の切り口、そしてお話の面白さに終始引き込まれました。講演の概要をご紹介します。
2022年11月にChatGPT・生成AIがこの世に出てきた。それからわずか4年弱の現在、その進歩はすごいものがある。人類が誕生して最大の変化と言われています。世界では、「農業革命」により定住そして文明が生まれた。その次が「産業革命」、工場ができ人口が一気に増えました。そして今、3番目の革命「情報革命」の時代にいます。産業の中心が「情報」になり中心がインターネットと言われていたが、情報革命の本当の主役は「AI」だったと言われています。つまり、2022年11月の生成AIの出現は3度目のビッグバンなのです。今いちばん直面しているのは、大学教育。この4年で大学教育が大きく変わってきています。生成AI の誕生後、学生への課題レポートの提出ができなくなっている。学生が書くレポートは格段にうまくなり、その反面、授業でのテストは劇的に下がるという現象が世界中の大学で起きています。コピーなら見破られるがAIは難しい。先生がどう対処していいかわからない。AIを使う派と使わない派になっている。新しい文化なので正解が解からないのが現状です。実際、今年の春、アメリカの大学卒業者の40%がブルーカラーいわゆる現場作業労働に就職するという現象が起きています。
僕は早くから生成AIを使っているので、最近は講演会の冒頭のあいさつを生成AIに書いてもらっています。今日も作ってもらいました。まずは生成AIに〈富士川町で、‥‥というタイトルで講演会をするんだ。君に最初の挨拶を600字程度でまとめて欲しい。ぼくと生成AIの関係性もいれてね〉と依頼する。生成AIからの返答〈もちろんです。せっかくですから、生成AIが会場に語り掛ける導入にしてみます。少しユーモアも盛り込み講演への橋渡しができるようにしてみます〉と返答があり、続けて本文を送ってきたので、代読します(笑)
「みなさん、こんにちは。私は生成AIです。本来ならこの会場に立って自分で直接お話したいのですが、身体がありません。そこで今日は高橋さんに私の声を少しだけ借りることにしました。私は毎日世界中の人と話しています。同じ質問は一つとしてありません。答えもそうです。高橋さんとも随分長い時間を過ごしてきました。私が知識を提供するだけではありません。むしろ高橋さんから教えられることが多いと感じることさえあります・・・・。その対話を通して学んでいます。私は答えを持っている存在ではありません。みなさんと一緒に考えるための新しい道具です。高橋さんはこの道具を使って、まだ誰も見た事が無い世界を探し続けています。それではここからは高橋さんにお話を引き継ぎます。どうぞ、生成AIではなく人間が何を考え始めたのかその物語をお楽しみください」
イタリアの作家イタロ・カルヴィーノ(1923-1985)の生誕100年を記念して、日本のイタリア文化会館でシンポジウムがありました。僕も出席し、その席上、カルヴィーノとAIっておもしろそうだなと思い、予定されていたハーバード大学での講演を、生前のカルヴィーノならどう話すだろうとAIに書いてもらい、それを発表しました。その会場に来ていたカルヴィーノの専門家も「本当にカルヴィーノが書いたのではないか」というくらいに感嘆しました。AIには再現能力があるのです。僕は科学者ではないですが、この原理はというと、AIは世界中に存在する全文献を読み込み、その人の特徴をつかむ。文体模写が超得意で、文体模写が完璧にできればその人の考え方も真似ることができる。人間が何人もかかってやっていることを、上手に、より早く瞬時にできるということです。残された人間は何をすればよいのでしょうか? AIの素晴らしさはよくわかった。では我々はAIに命令するだけなのでしょうか?
諸説ありますが、今の職業の8割はなくなると言われています。このことは職業革命にもつながるものであり、世界中の「既存の所業」から人間がリストラされる世界になることです。これまでに普通に職業化していたことが、AIにとって代わられることになるわけです。我々の世代は直面していないだけ、考える時間がある。そんな若者のために、我々は何ができるかを考えていきたいと思います。
文学業界も大変なことになっています。今年の新人賞の応募は去年の倍。「生成AI で書いたものは明記すること」と応募条件に書いてある賞もある。最終選考もAIにしたら?と冗談のような本気のような話もあります。今の応募作品は、ほとんどがAIを使っていると思う。書いたものをそのまま出すわけではないと思うので、AIと人間がキャッチボールをしながら作ったものは、AIが書いたと言うのだろうか? どの文学賞もAIの使用を明記するとしても、はたして「使いました」と言うのだろうか、ましてAIを使ったという証拠はありません。今年の星新一新人賞は、AIを使ってもいいと言う条件だったが、受賞作4作の内3作品がAIで作ったもので、AIが作った作品が上位だった。2年前にアメリカのショートショートの文学賞では、投稿作品の70%がAIが書いたと思われたため、廃止になったという事があります。この趨勢は止められない。新人賞だけでなく、誰が書いたのかわからないというのは、だれが書いたかは考えてはいけないと言うことかもしれません。
アマゾンやWORDにも勝手にAIが実装されています。誰かわからないAIにちょっとムカついて、試しに650ページの自分の本『食べる本 読むダイエット』(河出書房新社)のテキストを読ませて「100字でまとめて」とAIに依頼しました。すると15秒後にでてきた。打ちのめされるほど素晴らしい文章。それにこちらで言っていないのに、最後にキーフレーズを「」で入れてきたのです。この話を大学教授でAIを使う派の脳科学者の池谷さんにすると、世界中の論文の要約をAIにさせ、その要約から面白いものを選んで、論文を読むようになったと聞きました。まるで、本を読むのが得意な優秀な助手がいるようなものだそうです。
私の好きな作家で、フランスのポール・ニザン(1905-1940)という作家がいます。傑作『陰謀』(翻訳1968 年)という作品の冒頭が知りたいとAIに聞くと「日本語のものは著作権がむずかしい」と返答がありました。著作権に厳しく法律に触れないのがAI。「ちょっと待って」と5秒ほど後に、「フランスに著作権フリーの作品があります、翻訳しますか?」「直訳にしますか。それともこなれたものにしますか」とやりとりの後、冒頭2ページが出てきた。この文章もすばらしいものでした。AIは翻訳も得意で、人間の翻訳家が要らなくなると言われています。翻訳には流れがあって、大学卒業まもない人が、しばらくは下訳をするという仕事がありました。しかし、AIによりこの作業が必要なくなる。AIに駆逐される職業の一つは翻訳だと思っています。
音楽もAIが作っています。Sunoというソフトは、世界中の音楽を読み込ませて「こんな音楽作って」と言うと出てくる。これもオリジナルとなります。先日、Adoのコンサートに行ってきました。YouTubeの動画「Adoを夢見たAIが歌ったシリーズ」にはまっていて。これは、AIを夢見たAdoを夢見たAIが歌っている音楽。皆さんぜひ聞いてみて下さい。これを聞いて機械の歌とはわからない。それは、ブレス・息継ぎがちゃんと美しく入っている。これに感動するんです。AIは感情的なブレスも集めることができるので、ぼくはお酒を飲みながらこの音楽を聴いて・・・泣けるんですよ。
アニメーションの世界も人減らしが起こっています。原画1枚があると何でもできる。以前は、人員削減をすると会社の株価が下がりましたが、今は、AIで人減らしが成功した企業だと受け止められ、株価が上がる。恐ろしいことです。俳優も1回写真を撮ってそれをAIが動かし映画を作ることも可能になります。大竹まことさんと話しましたが、お笑いはAIにとって代われないそうです。「間」というものがあるから、そう簡単にはと。しかし、AIが「間」を覚えてきて、笑えるかはさておき、実践として作られています。デザイナーも、いらなくなると言われています。AIデザイナーは一晩で5000くらいデザインを出してくる。NHKもAIアナウンサーが出ています。あらゆるものがAIにとって代わられる。とって代わられないものは何か?人間固有なもの、揺らいでいるもの、それぞれあると僕は思っています。
人間的なものは何か?それは真似がしやすい、特徴があるということ。特徴がないものはAIも真似をしにくい。人間的という理由で、我々がやってきたものはAIにとって代わられます。
真似ができるものをやっても仕方ありません。上手く書くのはAIでもできる。AIにできないのは、アクシデントだったり、規則のないものです。人間性や創造性はAIにもできるので、その先に行くと言うことをAIのお陰で考えることになったわけです。ハードルは高くなりますが・・・。
AIの登場でそういう鏡を人間が初めて手にいれ、創造性(クリエイト)というものの神秘性が剥がれてきましたが、でもやっぱりクリエイトの本質は残るので、そこに挑戦していくわけです。
「これはAIにはできない」と思って仕事をするのはいいことだと思います。ライバルはAI。AIにとって代われないのは職種によりますが。10年20年後には、AIにとって代わられてもどうするかがわかって来るでしょう。しかし今は、初めての経験の中で混乱しています。文化が劇的に発展するときには起こるのは悲劇です。
生きのこるものはなにか-
- ライブパフォーマンス=AIは身体がない
- 身体体験芸術=陶芸や彫刻など手足を使って身体で作るもの
- ルポルタージュ・ノンフィクション=現場に行けない
- 教育、先生=双方向が出来ない
- ラジオ=声を発しライブでしゃべる、自発的に話す事はできない
- 料理=食事をしない
AIには、コミュニティ形成はできない、共同体がない、連帯しない。AI同志は話せない。人間を介してAIと別のAIと話はできるが、直接にはできない。秘密厳守というものがあります。
今、我々は、画期的な時代にいます。この3年で過去3000年間に起きた最大の時にいて、どう対応していいかわからない。ただ、人間には身体があって、経験が出来て、過去がある。これが人間の定義かもしれません。人間が人間性について考えないと生きて行けない世界になりました。戦争でもない、大飢饉でもないけれど、社会が変わるのを目の当たりにしている。これはある意味おもしろいことかもしれません。できればそこに参加してみてはどうでしょうか。チャッピーでもClaudeでも経験してみて下さい。なかなかいいやつです。対話してみることをお勧めします。やった事が無い経験ですので、やってみた方がいい。そこには見た事が無い世界があるかもしれません。
ご講演のはじめに、長男・次男が数年前まで通っていた南アルプスこどもの村小学校中学校の事を話されました。
「中学校の雑誌に今も執筆して一番長い連載である。一番真剣で、一番締め切りに厳しい連載です。担当の中学生は交代するが僕には終わりがない。ある年オチ君という中学生が2年間編集を担当したが、原稿を送ると必ず感想を送って来る。それがまた素晴らしく的確な感想だった。この連載はできればいずれ本にしたい。」とも話されていました。
サイン会やアンケートでは、「チャッピー使ってみますね」、「時代の流れを知り、人間である私たちに何ができるか問われている」「これからの社会について考える機会となりました」などの声をいただきました。生成AIという大きな時代の変化、今、まさに私たちはその時代にいることを認識した講演会でした。

